古本LOGOS 
いわしの読書日記改め、古本屋&ブックカフェ通信

14 August

もう一度、ここから。

 先日、枝豆を植えようとして、その日の月の位相(上弦とか下弦とか)を思い出そうとしたら、すぐにわからないことがありました。少し前(とはいえ正確に何日前かは思い出せない)に満月を見たから、今下弦の相にいるはずだと思うのだけれど、新月はいつ? 今日の新聞の天気予報はみたけれど、月齢のところは読み飛ばしていた。おお、なんたること。「新月」を屋号(?)にもちながら、このところの生活リズムはすっかり曜日に支配されていた。なんたって今は、月・火働いて水曜休みの、木・金働いて土日は休みという、パート事務員に適応するのに忙しかったというのはただの言い訳。
 この前の「新月いわし洞通信No.35」を出したのは、11月2日で、その前日から、上記の勤務パターンのパート仕事を始めて、なぜか今も続いています。もはや半年以上、正確には7ヶ月も過ぎてしまった。あの時カミングアウトした自分の決意について、進捗状況は決して思わしいとはいえず、半年に一度400字詰で20枚程度の小品を、所属する同人誌に定期的に提出してはいますが、それはそれだけのことで。これについて書いてみよう、このテーマで、このタイトルで、というアイデアはいくつか書き留めたものの、その段階で止まっています・・・。結局のところは「時間がない」。踏み出した足はいつも1,2歩で止まってしまい、またしてもゼロ地点から再スタートの繰り返し。なんとかしてこのパターンからは脱却したいのだけれど。
 去年の11月の時点では、長年、「新月いわし洞通信」を作ってきたワープロ機が故障し、愛用のマックも、プリンタの調子も思わしくなく、パソコンを買い換える決意もつかず、一種の四面楚歌状態でした。そんな中で出てきた一時休止宣言だったのかもしれません。しかし。パートで勤め始めて1ヶ月となった12月に、リースでパソコンを手に入れるという方法を知り、個人営業の「文章工房 新月いわし洞」なる会社名で、デルのパソコンを我が物にすることが出来ました。おお、文明の利器。5年リースだから支払い総額は割高かもしれないけど、ボーナスの当たらないパート仕事ではそれも仕方ないでしょう。5年後のパソコン・ネット事情がどうなっているかなんて、誰にもわからないしね。
 こうやって再び自由に書き、印刷できる環境が整った今、書けない理由は、忙しい(=空白の時間がない)からではなく、もっと別のところにあるような気がしてきました。それは、自分が何者でもないから。というか、時間を作りたい、という理由で、自分の一番根源であるこの「新月いわし洞通信」を止めてしまったことがかえって、リズムを乱し、書くことに悪影響を及ぼしているのかもしれない、という仮説をたてました。そして今、その仮説を検証するために、もう一度ほそぼそと「新月いわし洞通信」をリスタートしてみることにしました。それを伝えるための、この番外編的な36号です。(photo by Caroline)
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14:01:57 - nanamin - No comments - TrackBacks

13 August

奥能登の夏の色

 季節の持つイメージに色をあてはめるとしたら、あなたにとって夏は何色ですか? 晴れ渡った空の紺碧の青。透き通った海のマリンブルー。勢いよく生い茂る夏草の力強い緑色。それとも太陽に向かってのびる向日葵の黄色? これは好みの問題で、正解などはありません。しかし、夏の能登半島は観光客にとって魅力的な場所で、開放的に感じられる季節であるのは多くの人が認めるところでしょう。
 日本の渚・百選の1つに選ばれた珠洲鉢ヶ崎海岸は、他県からも海水浴客が訪れる美しい砂浜です。透明度の高い遠浅の海岸で泳いでいると、小さな魚の姿を見ることもよくあります。近くにはオートキャンプ場やケビンや温泉もあり、子ども連れで気軽にたずねられる海水浴場としてにぎわいます。今年はりふれっしゅ村鉢ヶ崎を中心会場として、8月3日から7日にかけて「第14回日本ジャンボリー」が開催され、日本全国からボーイスカウトの団体がこの地に集い、キャンプ体験などを行うそうです。一年で一番海が美しく見えるこの時期に珠洲を訪れるみなさんが、珠洲のファンになっていただけたら嬉しく思います。
 そして珠洲の夏の風物詩として忘れてはならないのがお祭りです。7月20日の飯田灯籠山祭り(お涼み祭)を皮切りに珠洲の夏が始まります。月遅れの七夕に行われる8月7日の宝立キリコ祭りは、そのキリコの勇壮さで石崎奉灯祭(七尾市)に見劣りするものではありません。見付海岸一帯で大きなキリコが並ぶ姿は一見の価値があります。夜十一時過ぎに花火が打ち上げられる頃、祭りはクライマックスを迎え、キリコの海中渡御が始まります。かがり火に照らされた波間で揺れているキリコはとても美しいです。観光客をひきつける大掛かりな宝立キリコ祭りのほかにも、小さな集落単位で今でもこの時期に七夕キリコを出すところもあるという事実は、毎年変わらずに季節が過ぎていくことを大切に思う、能登の貴重な民俗行事です。私にとっての夏は、この日を境にブルーからグリーンへと変わり、少しずつ夏が傾いていくのです。
(「能風爽快No.6」2006年夏号掲載)
13:08:00 - nanamin - No comments - TrackBacks

12 August

奇跡を起こす方法論は

 少し前になりますが『奇跡を起こした村のはなし』(吉岡忍・ちくまプリマー新書010)という本を読みました。新潟県黒川村で実際に起こったこと、12期・48年間に渡った故・伊藤元市長を中心に描かれたノンフィクションです。平成の大合併により、黒川村は胎内市となりました。山間の、豪雪地帯の、人口の少ない過疎の村。戦後のあの時期だから可能だったことも多く、全てを鵜呑みにすることは出来ないかもしれませんが、発想の転換や時代の先を読むまなざしからは学ぶべき点も多いように思いました。
 翻って昨日(6/11)、珠洲市では市長選挙が行われました。原子力発電所の誘致をめぐって翻弄された二十数年の後、電力関係各社から原発計画の撤回が申し渡されたのは二年前。本来ならその時点で、行われてしかるべきだった選挙が、ようやく行われたように感じています。前市長の健康上の理由による辞職から選挙戦になったのです。前市長の後継者として助役から立候補した木之下氏と、6年前の選挙では反原発側から立候補した菓子製造業代表の泉谷氏の一騎打ちとなりました。結果は新聞やニュースでも報じられたとおり、新人で無所属の泉谷満寿裕氏(42歳)の勝利となりました。投票率は84%、泉谷=8,413票、木之下=5,287票でした。

 半島の先端に位置する珠洲市は、さまざまな理由から、平成の大合併の波に乗ることはできず、単独市制の道を選びました。当てにしていた原発計画は撤回され、税収の伸びも期待できず、財政再建団体転落のがけっぷちにいます。この市の状況を乗り切るために、やっと市民が目をさましたことを今は素直に喜びたいと思います。もちろん、泉谷氏の政治的な手腕に関しては未知数です。若さだけでは乗り切れない局面も多々出てくることと思います。しかし、私たちは、今こそ、変化を恐れず、逆転の発想で持ってこの苦境を乗り切っていかなければならないのだと思います。珠洲市民の叡智を集めて、奇跡を起こす方法論を模索していけたらと思うのです。泉谷新市長さんに、ぜひとも上記の『奇跡を起こした村のはなし』を読んでほしいと思いました。

(「みずすまし通信」2006年7月号掲載〜新月いわし洞の奥能登だよりNo.5〜) 

                      
09:23:34 - nanamin - No comments - TrackBacks