古本LOGOS 
いわしの読書日記改め、古本屋&ブックカフェ通信

22 October

新月いわし洞通信NO.37

今日は新月。旧暦で言うと九月一日にあたる。

新月いわし洞通信を発行する日だが、やっぱりもう紙(コピーした印刷物)では発行できない。これはわたしの中で使命が終わった。35号までを改めて読み返し、金沢で発行していた1号から19号までと、珠洲で発行した20号から35号までが同じくらいの分量としてつりあった時、ひとつの円環が閉じたように思った。

もともとは新月の日をオープンハウスにする、そのことの告知のために通信を発行したのだった。オープンハウスが主で、通信は従だったものが、いつの間にか通信のみが一人歩きして、自分の興味の赴くまま本の紹介や、出会ったり知り合ったりしていいなあ、と思った人やサークルの紹介などに手を広げたこともあった。しかし、それも今にして思えば独りよがりを抜け出すことが出来ず、あまり客観的で広く人に訴えるものにはなっていなかった。要するに淋しかったのであろう。こういう形でしか人と知り合いになれなかったのだ。

人に対してなかなか素直に心が開けないのは今も同じで、通信を書くことでコミュニケーションを取れたと思っていられればよかったのだけれど、少しずつではあるが具体的な活動を通じて知り合う人の数が増え、抽象的な総論ではなく、具体的な各論が必要になっている今、前と同じ形でこの「新月いわし洞通信」を出していくことは出来ない。35号で一度終りを宣言したことはそれなりに理由があったのだと思う。未練がましく36号を送ってしまったけれど、やはり続けられないことがわかった。ごめんなさい。これからはこのブログで新月の日には必ず何かを書くことにします。本に関することは「読書日誌」で、日常のことは「カオスの箱」で、それからまとめて考えたことは「新月いわし洞通信ブログ」で書き溜めていきたい。知らせたいことがある人や手紙を書きたい人にはおっくうがらずに手紙を書きます。

それから1年以内に、「新月いわし洞通信」の35号までをまとめて本にしたいと思います。東洋の古い思想によれば、充実した人生を送るには三つのことをしなければならないそうです。
それは「息子をもうけ、本を一冊書き、木を一本植える。」そうすることによって、あなた(わたし)が死んだあとも三つの遺産はいつまでも生き続ける、とその思想は言っているようです。とても出来そうにもないようにも思いますが、公言することで、実現に向けての第一歩としたいのです。
14:00:24 - nanamin - No comments - TrackBacks

15 October

一区切りの証に

気がつけば2006年も残り3ヶ月を切った。
今年は「新月いわし洞通信」を始めてからちょうど10年になった。
1996年の2月、何もわからず始めたこの試みは、途中の中断・転居などをはさんで今のところ36号を数えた。
 
今改めてこれまで書いてきたことをトータルな視点から眺めると、やはりこれは35号で一区切りついたのだな、と。自分の寂しさから36号を追加で発行し、次号のことも頭の片隅にはあるのだが、やはり以前と同じ形式で続けることには無理がある。金沢で発行した19号までと、途中4年のブランクをはさんで奥能登で再開した20号から35号が、ちょうど同じほどの分量で並んでいるようにも見える。

書いてあることはといえば、あまりにも幼い。自分のことばかりで、客観性のある文章になっているのは一握りで、本当にただのパーソナルレターであり、人様に読んでもらえるようなものばかりではない。しかし、確かにこれは私の精神生活の記録でもあり、なんらかの形で残したいようにも感じる。

10年の証に、何らかの形でテキスト(本)の体裁を作って残したいなァ・・・と以前から考えていたことを実現したい、というのが今の本音みたいです。
11:35:19 - nanamin - No comments - TrackBacks