古本LOGOS 
いわしの読書日記改め、古本屋&ブックカフェ通信

30 December

ガタンコガタンコ シュウフツフツ

ガタンコガタンコ、 シュウフツフツ、

さそりの赤目が 見えたころ、

四時から今朝も やって来た。

遠野の盆地は まつくらで、

つめたい水の声ばかり。

(「シグナルとシグナレス」『ちくま文庫版 宮沢賢治全集8』より)

 宮沢賢治というのは、私にとっては読んでも(活字を追っても)そのイメージが頭の中に描けない作家の1人だったのだが、先日、NHK教育の「にほんごであそぼ」のなかで、野村まんさい(でしたっけ?)が、後ろに子ども4人を引き連れて機関車の格好をして、「ガタンコガタンコ、シュウフッフッー」と件の詩を読みながらステージにセットされた線路の上を走ってのをみて、「ああ、こういうことだったのか!」といたく納得してしまった。まさに腑に落ちたという感じ? これはなかなかいいです。みなさん、ぜひ見てください。私はいつも朝8時からのを見ています。(ついでに「ピタゴラスイッチ」も。)

 「にほんごであそぼ」には、前にも『銀河鉄道の夜』のクライマックスシーン(ジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道に乗って語り合う、そして気がつけばカンパネルラが消えていたシーン)をやっているのを見て、読めるかも、と思えたから、ずいぶん助けてもらってる。

 まあ要するに、私は活字を頭で理解できても、情景として読むのが苦手なんだなあ、というのがよくわかった。それなのによく読書なんかしてるよなぁ・・・・。

(「新月いわしの読書日記」2006.12.03より転載。)
14:54:39 - nanamin - 2 comments - TrackBacks

13 August

奥能登の夏の色

 季節の持つイメージに色をあてはめるとしたら、あなたにとって夏は何色ですか? 晴れ渡った空の紺碧の青。透き通った海のマリンブルー。勢いよく生い茂る夏草の力強い緑色。それとも太陽に向かってのびる向日葵の黄色? これは好みの問題で、正解などはありません。しかし、夏の能登半島は観光客にとって魅力的な場所で、開放的に感じられる季節であるのは多くの人が認めるところでしょう。
 日本の渚・百選の1つに選ばれた珠洲鉢ヶ崎海岸は、他県からも海水浴客が訪れる美しい砂浜です。透明度の高い遠浅の海岸で泳いでいると、小さな魚の姿を見ることもよくあります。近くにはオートキャンプ場やケビンや温泉もあり、子ども連れで気軽にたずねられる海水浴場としてにぎわいます。今年はりふれっしゅ村鉢ヶ崎を中心会場として、8月3日から7日にかけて「第14回日本ジャンボリー」が開催され、日本全国からボーイスカウトの団体がこの地に集い、キャンプ体験などを行うそうです。一年で一番海が美しく見えるこの時期に珠洲を訪れるみなさんが、珠洲のファンになっていただけたら嬉しく思います。
 そして珠洲の夏の風物詩として忘れてはならないのがお祭りです。7月20日の飯田灯籠山祭り(お涼み祭)を皮切りに珠洲の夏が始まります。月遅れの七夕に行われる8月7日の宝立キリコ祭りは、そのキリコの勇壮さで石崎奉灯祭(七尾市)に見劣りするものではありません。見付海岸一帯で大きなキリコが並ぶ姿は一見の価値があります。夜十一時過ぎに花火が打ち上げられる頃、祭りはクライマックスを迎え、キリコの海中渡御が始まります。かがり火に照らされた波間で揺れているキリコはとても美しいです。観光客をひきつける大掛かりな宝立キリコ祭りのほかにも、小さな集落単位で今でもこの時期に七夕キリコを出すところもあるという事実は、毎年変わらずに季節が過ぎていくことを大切に思う、能登の貴重な民俗行事です。私にとっての夏は、この日を境にブルーからグリーンへと変わり、少しずつ夏が傾いていくのです。
(「能風爽快No.6」2006年夏号掲載)
13:08:00 - nanamin - No comments - TrackBacks

12 August

奇跡を起こす方法論は

 少し前になりますが『奇跡を起こした村のはなし』(吉岡忍・ちくまプリマー新書010)という本を読みました。新潟県黒川村で実際に起こったこと、12期・48年間に渡った故・伊藤元市長を中心に描かれたノンフィクションです。平成の大合併により、黒川村は胎内市となりました。山間の、豪雪地帯の、人口の少ない過疎の村。戦後のあの時期だから可能だったことも多く、全てを鵜呑みにすることは出来ないかもしれませんが、発想の転換や時代の先を読むまなざしからは学ぶべき点も多いように思いました。
 翻って昨日(6/11)、珠洲市では市長選挙が行われました。原子力発電所の誘致をめぐって翻弄された二十数年の後、電力関係各社から原発計画の撤回が申し渡されたのは二年前。本来ならその時点で、行われてしかるべきだった選挙が、ようやく行われたように感じています。前市長の健康上の理由による辞職から選挙戦になったのです。前市長の後継者として助役から立候補した木之下氏と、6年前の選挙では反原発側から立候補した菓子製造業代表の泉谷氏の一騎打ちとなりました。結果は新聞やニュースでも報じられたとおり、新人で無所属の泉谷満寿裕氏(42歳)の勝利となりました。投票率は84%、泉谷=8,413票、木之下=5,287票でした。

 半島の先端に位置する珠洲市は、さまざまな理由から、平成の大合併の波に乗ることはできず、単独市制の道を選びました。当てにしていた原発計画は撤回され、税収の伸びも期待できず、財政再建団体転落のがけっぷちにいます。この市の状況を乗り切るために、やっと市民が目をさましたことを今は素直に喜びたいと思います。もちろん、泉谷氏の政治的な手腕に関しては未知数です。若さだけでは乗り切れない局面も多々出てくることと思います。しかし、私たちは、今こそ、変化を恐れず、逆転の発想で持ってこの苦境を乗り切っていかなければならないのだと思います。珠洲市民の叡智を集めて、奇跡を起こす方法論を模索していけたらと思うのです。泉谷新市長さんに、ぜひとも上記の『奇跡を起こした村のはなし』を読んでほしいと思いました。

(「みずすまし通信」2006年7月号掲載〜新月いわし洞の奥能登だよりNo.5〜) 

                      
09:23:34 - nanamin - No comments - TrackBacks

07 April

季節を食べる

 能登で暮らすことの醍醐味は、季節感をダイレクトに感じられることだろうか。自然が厳しいと天候の移り変わりにも敏感になる。半島最北の珠洲では、私の暮らす内浦側と、波の花で有名な外浦側がどちらもひとつの「市内」なので、今夜の風はどちらから吹くのか、外浦では波が高いのだろうかと、そんなことが気にかかる。
 雪の中からフキノトウが顔を出し始めると、それは春が近づいた証拠。地球規模で考えると季節感のバランスはここ数年、いたく崩れている。とはいえ、立春が近づいて散歩の途中にフキノトウを初めて見つけたときは、嬉しい。天ぷらにしてもよし、フキノトウ味噌にしてもよし、のほろ苦いあのフキノトウの味覚を口にした瞬間から、私の中で春が始まっている。
 コゴミ、ウド、ワラビにゼンマイ、そして名前は知らないけれども食べたら美味しい山菜はいろいろある。ある日の夕餉の食卓に、こんなメニューが並んだ。「タラの芽の天ぷら、セリの油炒め、菜の花のおひたし」。
 菜の花は辛し和えにしても美味しい。ほっておけばスギナになってしまう土筆さえ、適切な時期に摘み、ハカマをとって灰汁抜きをして胡麻和えにすれば、これは立派なご馳走になる。それからタンポポのサラダもいただける。山歩きが好きな人なら、春の能登は充分に楽しめる。タケノコの初物をおすそ分けにいただき、昆布と炊こうか、筍ご飯にしようかと、そんなことを考えながら私は田植えの準備を手伝っている。
 真冬に沖縄に行ってみたり、夏の盛りに北海道を訪れたり、異なる土地へ旅行をする行為は、お金を出して季節を買うような行為にちかいともいえる。能登半島はコンビニエンスストアではないので、いつでも思うような季節の食材を、訪れてくれた人々全員に望むだけ提供することはできないが、それでも運がよければ季節の恵みを充分に味わえるところだ。旅行地の先々で暮らす普通の人たちとたくさん話をする中で、ガイドブックには載っていないあなただけの能登半島が見つけられるのでは・・・と思ったりしている。
  (「能風爽快第2号・2005春夏号」より一部修正して掲載)
09:22:01 - nanamin - No comments - TrackBacks

11 February

雪が降って思い出したのは

三十年ぶりの大雪とか言われています。新潟県の山間部では、いろいろな被害も出ているようです。他人事ではなく、「みずすまし通信」をお読みの皆さんは大丈夫でしょうか?
 正月休みを利用して、子どもと夫も一緒に実家(三条市)に里帰りしました。短い帰省でしたので、知り合いにも連絡しない家族だけののんびりした時間を過ごしました。珠洲から金沢までは能登有料道路経由の自家用車、金沢から三条まではJRの特急・北越を利用して移動しました。元日から少し天気が安定していたので油断していたら、三日は能登では朝から雪がちらつき始め、金沢までの道中ずっと降っていました。それなのに家族の中で長靴を履いていたのは娘だけ。
 電車は十分ほどの遅れで東三条の駅に到着。駅には妹が迎えに来てくれました。雪は、珠洲と同じくらい積もっているようでしたが、三条市民は特に驚く様子もなく、「いつもの冬」を過ごしているようでした。道路の除雪が不十分でも、消雪パイプの水が出すぎていても、なんとなく立ち行く三条の市井の生活。
 弥彦神社に初詣に行き、翌日は映画を見に行って(能登には映画館がない!)、二泊した次の午前には帰りの電車に乗ったのですが、金沢までずっと、途切れることのない雪景色が続きました。長岡から柏崎間の積雪量を間近に見て、「新潟は雪国だ」と改めて痛感しました。雪質も、能登の雪はさらさらしていることが多いですが、新潟の雪は湿った、積もると重たい雪であることを思い出しました。同じ日本海沿岸とはいえ、石川県と新潟県の文化の違いも感じました。

 クリスマス前のある日、仕事の用事で、珠洲の繁華街の銀行を回るとき、除雪が不十分だったので、いつもなら車で行くのを歩いていったことがありました。アーケードも消雪パイプもない道を、長靴をはいて、道の脇につもった雪を踏み分けて、傘もささずに銀行用のポーチを手にした私はいつの間にか雪の上を走り出していました。珠洲でこんなに雪が降るのは本当に珍しいのです。でもこの情景は、どこかで見て・体験したことがある。そうそうこれは、何十年か前に三条ではいつもやっていたこと。すっかり歳を取り、暮らしている場所も違っているのですが、雪が降ると思い出すのは小中学生だった頃の自分だったりするのです。
(「みずすまし通信」2006年1月発行に掲載)
10:10:51 - nanamin - No comments - TrackBacks