三十年ぶりの大雪とか言われています。新潟県の山間部では、いろいろな被害も出ているようです。他人事ではなく、「みずすまし通信」をお読みの皆さんは大丈夫でしょうか?
正月休みを利用して、子どもと夫も一緒に実家(三条市)に里帰りしました。短い帰省でしたので、知り合いにも連絡しない家族だけののんびりした時間を過ごしました。珠洲から金沢までは能登有料道路経由の自家用車、金沢から三条まではJRの特急・北越を利用して移動しました。元日から少し天気が安定していたので油断していたら、三日は能登では朝から雪がちらつき始め、金沢までの道中ずっと降っていました。それなのに家族の中で長靴を履いていたのは娘だけ。
電車は十分ほどの遅れで東三条の駅に到着。駅には妹が迎えに来てくれました。雪は、珠洲と同じくらい積もっているようでしたが、三条市民は特に驚く様子もなく、「いつもの冬」を過ごしているようでした。道路の除雪が不十分でも、消雪パイプの水が出すぎていても、なんとなく立ち行く三条の市井の生活。
弥彦神社に初詣に行き、翌日は映画を見に行って(能登には映画館がない!)、二泊した次の午前には帰りの電車に乗ったのですが、金沢までずっと、途切れることのない雪景色が続きました。長岡から柏崎間の積雪量を間近に見て、「新潟は雪国だ」と改めて痛感しました。雪質も、能登の雪はさらさらしていることが多いですが、新潟の雪は湿った、積もると重たい雪であることを思い出しました。同じ日本海沿岸とはいえ、石川県と新潟県の文化の違いも感じました。
クリスマス前のある日、仕事の用事で、珠洲の繁華街の銀行を回るとき、除雪が不十分だったので、いつもなら車で行くのを歩いていったことがありました。アーケードも消雪パイプもない道を、長靴をはいて、道の脇につもった雪を踏み分けて、傘もささずに銀行用のポーチを手にした私はいつの間にか雪の上を走り出していました。珠洲でこんなに雪が降るのは本当に珍しいのです。でもこの情景は、どこかで見て・体験したことがある。そうそうこれは、何十年か前に三条ではいつもやっていたこと。すっかり歳を取り、暮らしている場所も違っているのですが、雪が降ると思い出すのは小中学生だった頃の自分だったりするのです。
(「みずすまし通信」2006年1月発行に掲載)
能登の冬は突然やってくる。おだやかな晴天が続いた11月初旬のある日、いきなり到来する。雨雲が空を覆い、雷鳴がとどろき、みぞれを降らす。その気象現象を地元では「鰤起こし」と言い、冬の美味をもたらす季節の訪れを告げるのである。
天候が荒れれば、人は屋内で暖をとる方法を工夫し、火の周囲に人が集まれば、そこには美味いものが集まる。芋や餅を焼き、カニ汁やタラ鍋を煮る。海苔をあぶり、ふろふき大根を炊く・・・。能登の冬入りを実感するのは人によってさまざまだが、私が定義するならアエノコトを挙げたい。
近年紹介されることが多いのは、十二月五日の「田の神迎え」のアエノコトだろう。ゴテとよばれる裃姿の主人が、目が見えないとされる田の神を自家の田んぼに迎えに出る。鍬で起こし、神を家へと導いて座敷へと招き入れる。湯浴みをすすめ、御膳にのせた馳走振る舞い歓待する。この行事は神社に伝わる秘儀ではない。代々家々に伝わる饗応なので、所作ももてなしの馳走も家ごとに少しずつ異なる。田の神を送り出す日は一般には二月九日とされているが、雪深い山間部では三月まで滞在してもらう家もある。
農家の担い手が若い世代に受け継がれ、合理化・機械化されていく昨今、アエノコトの意味は実効性ではなく、民俗学的な興味から語られることがほとんどだ。しかし、どの家でも変わらないものはある。季節の移り変わりと共にもたらされる収穫を祝い、来る年の豊作を願う人々の気持ち。そこには、自然に寄り添って生きてきた農家の原点がある。
時間は直線に進むのではなく、円を描いて繰り返すように生起する。私にとっての冬の到来は十二月五日であり、田の神を送り出す日に冬は終わる。その日を待つことで、冬はむしろ心待ちに思える季節になった。
「寒さが人の気持ちを暖かくする。遠く離れていることが、人と人の心を近づける。」
そんな言葉をアラスカについて書かれた書物の中で読んだが、能登の冬にもこの言葉がピタリとあてはまるような気がする。
(「能風爽快(のとのかぜさわやか)No.4・時の歳時記4」能登半島広域観光協会発行に掲載)