先日、枝豆を植えようとして、その日の月の位相(上弦とか下弦とか)を思い出そうとしたら、すぐにわからないことがありました。少し前(とはいえ正確に何日前かは思い出せない)に満月を見たから、今下弦の相にいるはずだと思うのだけれど、新月はいつ? 今日の新聞の天気予報はみたけれど、月齢のところは読み飛ばしていた。おお、なんたること。「新月」を屋号(?)にもちながら、このところの生活リズムはすっかり曜日に支配されていた。なんたって今は、月・火働いて水曜休みの、木・金働いて土日は休みという、パート事務員に適応するのに忙しかったというのはただの言い訳。
この前の「新月いわし洞通信No.35」を出したのは、11月2日で、その前日から、上記の勤務パターンのパート仕事を始めて、なぜか今も続いています。もはや半年以上、正確には7ヶ月も過ぎてしまった。あの時カミングアウトした自分の決意について、進捗状況は決して思わしいとはいえず、半年に一度400字詰で20枚程度の小品を、所属する同人誌に定期的に提出してはいますが、それはそれだけのことで。これについて書いてみよう、このテーマで、このタイトルで、というアイデアはいくつか書き留めたものの、その段階で止まっています・・・。結局のところは「時間がない」。踏み出した足はいつも1,2歩で止まってしまい、またしてもゼロ地点から再スタートの繰り返し。なんとかしてこのパターンからは脱却したいのだけれど。
去年の11月の時点では、長年、「新月いわし洞通信」を作ってきたワープロ機が故障し、愛用のマックも、プリンタの調子も思わしくなく、パソコンを買い換える決意もつかず、一種の四面楚歌状態でした。そんな中で出てきた一時休止宣言だったのかもしれません。しかし。パートで勤め始めて1ヶ月となった12月に、リースでパソコンを手に入れるという方法を知り、個人営業の「文章工房 新月いわし洞」なる会社名で、デルのパソコンを我が物にすることが出来ました。おお、文明の利器。5年リースだから支払い総額は割高かもしれないけど、ボーナスの当たらないパート仕事ではそれも仕方ないでしょう。5年後のパソコン・ネット事情がどうなっているかなんて、誰にもわからないしね。
こうやって再び自由に書き、印刷できる環境が整った今、書けない理由は、忙しい(=空白の時間がない)からではなく、もっと別のところにあるような気がしてきました。それは、自分が何者でもないから。というか、時間を作りたい、という理由で、自分の一番根源であるこの「新月いわし洞通信」を止めてしまったことがかえって、リズムを乱し、書くことに悪影響を及ぼしているのかもしれない、という仮説をたてました。そして今、その仮説を検証するために、もう一度ほそぼそと「新月いわし洞通信」をリスタートしてみることにしました。それを伝えるための、この番外編的な36号です。(photo by Caroline)
<今年のキーワードは「サッカー」と、それから?>
今年はPTA関係の役についてない代わりに、少年サッカーチームの事務局を引き受けました。これは長男がこの3月に卒団するまで、保護者として関わっていた珠洲市の少年サッカーチームです。運営母体が今までは第3セクター的なスポーツクラブだったのですが、親会社が変わったことにより、採算のあわないサッカーチームは切り捨てられてしまったのです。そこで、いわゆる「スポーツ少年団」として実際に月謝を集めたり、練習試合の連絡を流したりする事務方を引き受ける人がいないようだったので、私が名乗り出てしまいました。長男は中学の部活ではサッカー部がないので、ソフトテニス部に入りました。奥能登では生徒数が減少しているため、新しい部(サッカー部)を作ることは難しいのですが、高校にはサッカー部はあるのだから、なんとか中学でもサッカーに関わっていたい、あわよくば同好会でも、隣町と合同ででもチームを立ち上げたい、という強い願いがあります。
去年、学校図書館のことで、少し情報収集を始めたときに感じた「予算がない」「学校による壁」を、このサッカーチーム存続問題でもまったく同じように突きつけられています。しかし、おりしも6月11日、前市長の病気辞職による市長選挙があったのですが、原発問題凍結から2年、揺れに揺れ、沈滞しきっていた珠洲市民は、ようやくこれまでの市制に見切りをつけたのか、6年前の選挙では「原発反対」側で立候補した弱冠42歳の泉谷満寿裕氏を市長に選びました。これで、少しは市の体制も変わると良いのですが。
関わりあうことを恐れずに、「やっぱり」「どうせ」とあきらめずに、正論を振り回すのではなく、言葉を相手に届けることから対話が始まるように、ここからまた始めたいと思うようになりました。(いわし猫「新月いわし洞通信No.36」2006.6.